彼が死んだ。
老衰だった。
生命のあるものはいつか朽ち果てる。生命のない無機物ですら、いつかは動きを止める。
永遠に生きるものなど、どこにもない。
その理から外れた者以外。
人魚の肉で不老になり植物の力で不死となる。
100000000以上の、培養液を与えられた生物の細胞がいつまでも動いて傷ついた皮膚はすぐに完治する。痛みすら感じないように。都合だけよい「造りものの臓器」が今なお脈を打っている。
「生きて死んでいくという運命はお前にとって幸せだったか?」
気温が高く暑い日だった。
ベッドに横たわる彼の手を握って相手に聴こえているか自分に言い聞かせているのかもわからない問いが自然と声になって響く。
部屋に響いたそれすら空気中に消えていき、「また生命が絶えたのか」とそれにすら虚しさを覚える。
『あなたが無駄に過ごした“今日”は、“昨日”死んだ誰かが死ぬほど生きたかった“明日”なんだ』
自分と他人は違う。生きるスピードも、脈の打ち方も。「誰と過ごして何をしながら生きたか」に優劣をつけて何になる。よそはよそでうちはうちだ。人が生きた日に順位をつけて「この人の1日は善かったけどあの人の1日は意味がなかった」と、内容も見ず何も知らないくせにぺらぺらと他人の事情を我が物顔で語る。
…馬鹿馬鹿しい言葉だと思った。
そう、思っていたのに。
今はその言葉にひたすら縋り付きたいと思ってしまう。
「まるで眠っているよう」
皆、口を揃えてそう言う。
じゃあ、起きるんだよな。いつか目が覚めるんだよな。誰か覚ましてみせろよ。こいつを、誰か起こして証明してくれ。
「やっぱり寝ているだけじゃないか」
その言葉をいつまでも待っている。
神という奴がこの世にいるというなら。死後の世界があるのなら、死神や天使や悪魔が居るのであれば。
いや、誰だっていい。通りがかりだっていい。
大人、子ども、犬、猫、鳥、植物、石ころだってなんでもいいから。
「俺の生きている日を、こいつに、こいつに………」
「こんな石像の下で生きていくのか」
ひと通り「葬儀」とやらが終わり、先ほどまで賑やかだったこの場も今は静かだ。
残ったのは墓石と少年が1人。
「もう、独りにはしないから ずっと側に居るからな」
墓石の隣に座る。
ぬるい風が頬をかすめた。
墓石に寄り掛かって瞼を閉じた。
…何年経っただろう。
何千年も経った気もするし、1ヶ月も経っていない気もする。
日が昇り、月を見て。数えはしていないから正確な時間はわからなかった。
そのときだった。
自分の肩にポン、と何者かの手が触れた。思わず振り返ってその人物を捉えた。
…そこには、忘れもしていない、姿。
優しい夕陽色の瞳。
「わあ、今日は晴れたんだ ベリーを採りに行きたいな」
何回と見た、空色をおびた白髪。
「はは、随分と発展した街になったんだね いや、これは都市って言うのかな」
いつか出かけた先で購入した、サイズの合っていないブカブカのカーディガンを身につけて。
「うーん、時差ボケかな… それともただのボケ…?もうちょっと若いときに戻してもらったらよかったな 悪魔って意地悪だなあ」
何度「もう一度聴きたい」と望んだか、のんびりとした声。
「…お店、まだあるかな」
「お、まえ、なんで、どうして」
ようやく絞り出した声は、自分でも吃驚するほど枯れていて。
彼を再び捉えた眼は水でぼやけていて。
「…あらかじめ、『彼女』に呪いを教えてもらったんだ。心底嫌そうな顔をされたよ。『アンタにもついにバカになれるような人が見つかるなんてね 成功確率は2%よ 悪用したらちゃんと返しなさいよ それ高いんだから』だってさ」
「…向こうに行って『1000年働き続けたら叶えてやる』って言われたんだ」
「悪魔っていうけど、意外と親切でびっくりしたよ」
頬を伝った涙が着ている服に染みを作った。彼は、屈んで俺を抱きしめた。痛いくらい、抱きしめてくれた。服の染みが増える。
「ただいま、待っていてくれたんだね 独りにしてごめんね、もう君を1人にはしないから」
「…遅ぇよ、1000年待ったんだぞこっちは
ただで済むと思うなよ」
「はは、怖いなあ 休憩時間くらいほしいよ」
「何か、食べたいものはあるかい」
「ミルクセーキとくるみパン」
「即答か……でも奇遇だね、僕もちょうど食べたかったんだ」
さあ。
「「家に帰ろう」」
2020/08/07 擱筆